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滝沢克己の世界

滝沢克己の思想
2005.4.11更新


はじめに――滝沢克己は何を語ったか

滝沢克己は世界的業績をあげた近代日本の独創的哲学者である。

滝沢の思想の核心は実在としての「神と人間の関係」であり、滝沢はそれを突きつめた。滝沢の思想はそのことによって哲学と神学の従来の思考方法を超え、晩年には独自の純粋神人学にいたった。そこに新しい時代の生と思考の方向が示されている。

滝沢は神と人間の関係に第一義と第二義の二つの意義を区別した。第一義とはすべての人の神との関係である。第二義とは第一義の関係への正しい応答の生成であり、生成した応答である。

滝沢は、第一義・第二義それぞれにおいて、神と人間の関係を不可分・不可同・不可逆とし、さらに第一義と第二義の関係も、不可分・不可同・不可逆と説いた。

滝沢の主張の核心は以上に要約できる。これは西田幾多郎、カール・バルトから学んだものであった。

しかし、滝沢は西田には不可逆の自覚がなく、バルトにはそれが徹底しなかったと批判する。「不可逆」の主張こそかれの世界的業績である。

なぜか。滝沢はみずからその帰結を明瞭に示した。

まず、聖書のイエスを第一義に対する完全な応答形態と捉えることによって、キリスト教の絶対性主張を超え、キリスト教を真実開かれた宗教へと導いた。

それはおのずから宗教間対話の道となったのみならず、「宗教」というものの古い概念を打破して、新たな宗教改革を提唱せしめた。これは世界平和への道である。

滝沢は他方、哲学にみられる西洋形而上学的思考の隘路を、「不可逆」の一点で批判した。形而上学的思考とはロゴスへの絶対性主張なのであり、不可逆性を無視した人間の神化として、滝沢はそれを厳しく退けた。

哲学・科学・宗教という人為的区分の手前にある実在を滝沢は指示し、その実在にそれら営みの基盤をみいだしたのである。

不可分・不可同・不可逆という規定は、そのようなものとしてまた、自らの罪(虚無・根無し)にもかかわらず、すべての人がいつも新たに立ちかえるべき、人生の支えを指示している。滝沢を知ることは、新しいそして涸れることのない喜びの泉を、自分の脚下に知ることにほかならない。


*人生の問いの目覚め

 滝沢克己にとって、最大の問いとはただ一つ、人が人としてこの世にあることは、どういうことなのか、ということだった。

 彼は中学生のとき、小川のほとりで水車を踏んで芋を洗う人を見て、根底的疑問にかられる。

 「あの人は結局のところ何のために、際限もなく水車を踏んでいるのだろう」

 人は何のために生まれてきて、この地上にい続けるのか、その理由がないことに気がついてしまったのである。

 この問いは滝沢の青春を支配した。人間がただここにあることに理由が見いだせないのである。そのため、何をやっても集中できなかった。

 いったん入った東大法科にもついてゆけず、彼は東京を離れ、遠く九州大の哲学科に入り直す。

 ここで当時最先端の哲学に答えを求めて研鑽を積んだが、答えは得られないままだった、

*西田哲学との出会い

 そんなある日、雑誌「思想」に載った西田幾多郎の論文に目がとまり、ここに年来の疑問への答えがあるのではないかと直感し、以後西田哲学に没頭する時期が続く。

 西田哲学を読みふけっていたある日、西田のいう哲学の核心が突然わかってきた。

 私が私のままで、私を超えた絶対の限界にぶち当たっており、そこから私や事物は、限定を受ける形で存在していることに気が付かされる。難解と見えた西田の哲学は、絶対的一般者(場所)の個物との関係の一点を語っていた。

 ここがわかったとき、滝沢の持っていた問い、人は何のためにここにいるのか、という問いそのものが、消えていることに気が付いたのである。

 つまり、他から切り離されて孤立していたと見えた私自身は、絶対の限界から限定される形でもともとあったのであり、ここでは私という個が発した「何のため」という問い自体が、それを超えた事実からの力によって消滅していたのである。人間が存在することとは、この事実との関係において、それから限定を受ける形としてだけあったことに、気が付いたのである。

 西田哲学の発見を元に書いた論文は、同じ「思想」に掲載されて西田の目に止まり、西田から激賞された。

 滝沢は西田との出会いにより、人がどこによって立つかという問いへの答えは実在自身のうちにあったということを知ったのである。

*バルトとの出会い

 滝沢はドイツ留学前に西田と面会し、ドイツで誰を学ぶかの相談をしたところ、カール・バルトがしっかりしているのでいいと勧められた。

 ドイツに渡ってバルトから学んだ滝沢は、バルトが語るイエス・キリストの救いの出来事が、西田によって自分が逢着した存在の真理と同じところを指していることに気がつく。

 そのことをバルトに論文の形で伝えたが、バルトはキリスト教以外での現実的救いに関して否定的だった。滝沢はここに逆にバルトのキリスト教へのこだわりをみた。

 
*滝沢の発見した事柄とは?

 滝沢が発見した原事実とはこう語られる。神と人とが、不可同・不可分・不可逆に接触している、と。

 そしてこの接触に、二通りの区分が成り立つ。

 まず神のロゴスの永遠の表れとしての、第一義の接触。
 そしてそれが歴史上あらわれた姿としての、イエス・キリストにおける第二義の接触。

 そしてこの第一義と第二義の二つの接触の、順序を逆にすることのできない区別を、イエス・キリスト自身においても見出したのである。

 これに反してバルトは、神と人はイエスにおいて始めて接触した、つまり第二義の接触があって第一義の接触が実現した、と説くに止まる。

 滝沢がイエス・キリストにおいて第一義と第二義の不可逆的な区別を見出した意義は大きかった。なぜなら、これにより、イエス・キリストの唯一の救いというキリスト教の唯一絶対性の教説から、人は解放されるからである。

 ここに、西田による実在への解放を経てキリスト教に出会った滝沢がいる。

 そして神と人との関係こそ、神が絶対的に先であるという意味で、「不可逆」である。これこそ、西田哲学での一般者と個物の関係では十分見て取ることのできなかった事柄だった。

*不可分・不可同・不可逆と近代批判

 この「不可分・不可同・不可逆の原事実」に目をむけないすべての人間の営みを、滝沢は根無しとして退ける。形而上学も、近代的ヒューマニズムも、自由、平等、博愛も、この原事実に触れていない限り、虚妄となり、形骸化し、化けの皮がはがれるのである。

 近代社会への根本的批判と超克の足がかりを、滝沢はここに確かにつかんでいた。

 「不可分・不可同・不可逆」とは、原関係を思考の根柢で受け止めた滝沢の、喜びと感謝の表現であるとともに、避けて通ることのできない独断の極みの言説である。それは世界そのものの根本に立って事理を極めようとし、滝沢が自ら語る通り「独断に耐え」抜いた後に、つかみ取った言葉だといえるだろう。

 こうして初めて彼は、神と人と世界の原初的・根本的関係を生きたのである。

*生涯のたゆまぬ歩み


 滝沢は教職についてから、神人の原関係をいかに伝えるか、という現実的問いを突きつけられ、夏目漱石や芥川龍之介などをありのままに読み解くという作業を試み、狭い学問の範囲に限らない思索家の誠実な態度を貫いていく。

 その後も滝沢は、身近な現実から政治、経済に到るまで、あらゆることに対しただひたすら原事実を見続けて語り、そして生きた。

 40代の終わりになって、唯一絶対性を主張しないキリスト教会との出会いによって洗礼を受け、定年間近の大学紛争時には自らハンストを貫き、60過ぎてから3度の渡独をして宗教対話を実践し、70を越して手かざし治療での眼病平癒によって新興宗教を論じるなど、どれをとっても先入観なしに現実に対し誠実にコミットする姿勢に生涯変わりはなかった。

 その文業がカバーした範囲も、宗教論、哲学批判ばかりか、文学論、経済学批判、近代社会批判、日本人論、平和論、身体論、芸術論などに及び、滝沢の生涯はいつでも透徹・徹底したまなざしで問いを発し、その答えを聞き続けた偽らざる歩みとなったのである。

 滝沢克己の「不可分・不可同・不可逆の原事実」もしくは「インマヌエル(神我らと共にいます)の原事実」は、世界の根拠と人間の支えを、また根源からの創造的力学を私たちに伝え、私たちを教え導くものとなっているのである。
(c) 滝沢克己協会 思考センター (前田保・川島克之)

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