他者の声
滝沢克己の業績

 「他者の声」によって滝沢の波及力を検証ください。
(1)から(14)まで諸分野での業績を紹介しています。
既出のものへの付加は灰色文字で区別しています。
文中敬称略。
(2004・4・6完成)

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  (1)秋月龍aの声 
  −西田幾多郎・鈴木大拙と滝沢克己



   「私が、「西田哲学的思惟」における滝沢先生の業績というのはこのことで、それは西田先生が「歴史的現実」を「場所的弁証法的一般者の自己限定」として捉えるという表現をされていたときに、それに対して次のような鋭い指摘をされたという事実だと思うのです。
   「かかる弁証法的実在の動きを<弁証法的一般者の自己限定>として、たんに一元的なもののごとく言い表すことは、はたして適切であるか」
                      (『西田哲学の根本問題』昭和11年刊)
      私はかつて、これを取り上げて、
西田先生晩年の「逆対応の論理」は、西田先生自身がそれにこたえられた応答と見ることができると言いました(秋月龍a著作集第八巻『鈴木禅学と西田哲学の接点』三一書房刊)。…(この)切り込みは、とても大事な批判であったと思います。…」
●八木誠一・秋月龍a『ダンマが露わになるとき』
   (青土社、1990、89〜90頁)より



   「筆者は、滝沢克己の「不可分・不可同・不可逆」の学説を、西田幾多郎の「場所的逆対応」ないし鈴木大拙の「般若即非の論理」の延長線上に捉える。いわば、「不可分・不可同・不可逆」という言挙げは、「場所的逆対応」の論理の断面図にすぎないとする。その意味で、「場所的逆対応」の論理の中に本来含まれていたものを思想的により明確に引き出したものにすぎないが、それをそれとして明晰判明に立言したことは、何としても滝沢の無比の功績である。ある意味では、西田・鈴木もなお未在であったところの真理を道破したものと言ってもよい。」  
 ●秋月龍a『絶対無と場所』(青土社、1996、292頁)より



  なお、「存在者逆接空」の哲学者・鈴木亨も西田と滝沢に関してほぼ同様の指摘をしている。『滝沢克己著作集 5』 (法蔵館、1973)の「解説」3〜5、7頁参照のこと。
                                (2004・4・1付加)

  また、『畢竟』(法蔵館、1974)にも、西田哲学に対する滝沢の功績について鈴木の発言がある(45頁以下)。秋月の指摘を越える点については本ページ(8)参照。
                                (2004・4・5付加)



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 (2)秋月龍aの声
  ―西田幾多郎・京都学派と滝沢克己

                                           
  「西田先生のお弟子さんたちのうちで、いわゆる京都学派と言われる人たち、またその他のお弟子さんたちの中で滝沢先生のこのような指摘に匹敵するようなことを、西田先生に向って言った人を私は知らないのです。滝沢先生は早く戦前に『西田哲学の根本問題』という名著を書かれて、なみいる西田先生の高弟たちに向って「あなががたにはまったく西田哲学が分かっていない」という批判をされました。私はあの批判は当たっていたと思います。ほんとうに西田哲学のこの肝心要の大事が分かったのは、戦前では滝沢先生、戦後は務台(理作)先生と西谷(啓治)先生ぐらいのものではないかと、正直私はそう思うのです。」
   
「また、こんな話もあります。田辺元博士が、西田先生に迎えられて京大教授となり、西田哲学に強く影響されながら、一方で厳しく西田先生を批判されたことは周知のところですね。そのとき西田先生の高弟たちはほとんどが田辺説に傾いた、そのころのことです。西田先生が「滝沢君だけは田辺説にけっして賛同しないだろう」と言われたというのです。 以上のような話をいつか亡き鈴木大拙先生に話したことがありました。大拙先生は、私の話に深くうなずきながら言われました、「そうか、西田がこんなことを言うとったわい。 『自分が育ててきた京大の弟子たちよりも、自分の考えていることをいちばんよく理解している男が一人いる。それはキリスト教の男だがな』と。それが君の言う滝沢さんという人だろう」。これは西田哲学と滝沢神学(インマヌエル哲学)との間を語る重要な証言だと、私は思います。」
 ●八木誠一・秋月龍a『ダンマが露わになるとき』
   (
青土社、1990、90〜91頁より



   なお、「存在者逆接空」の哲学者・鈴木亨も滝沢と京都学派に関してほぼ同様の指摘をしている。『滝沢克己著作集 5』 (法蔵館、1973)の「解説」5〜6頁参照のこと。
                                (2004・4・1付加)


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  (3)西田幾多郎の声
  −業績をめぐるエピソードとしてー
                

拝啓 未だお目にかかった事もないのに突然手紙をさし上げることを御許し下さいませ
私は先月来ここに来ていましたので今月の「思想」を見ないでいましたがこの頃京都から転送して来ましたので御論文を一読いたしました  判断的知識の所だけですが私はこれまでこれ位よく私の考をつかんでくれた人がないので大いなる喜を感じました  はじめて一知己を得たようにおもいました  今度「行為の世界」というものをかきました  遠からず岩波から出版いたします  どうかまた御一読を願います
                 (一部現代表記に変更などあり、以下同じ)
一九三三(昭和8)年八月二十二日   西田幾多郎  滝沢克己様机下
 ●坂口博編「西田幾多郎の滝沢克己あて全書簡」より
 (滝沢克己協会編『思想のひろば』15号2頁、2003)



帰ってからぽつぽつご著書〔『西田哲学の根本問題』、書込み者注〕をよんでいます 長い間私の根本思想を理解してくれたものなく自分の考え方は到底人より理解せられないものと思っていましたのに心強く感じました  私の仕事は今の処私の如き根本思想からこの世界を見ればこれまでのいろいろの問題はいかになるか  私の立場からこの世界をみなおすにあるので根本問題そのものを明らかにする点に於いて尚不徹底な所があるかも知れませぬがだんだんさういふ問題に入って行こうと思って居るので御座います  何卒御健康御大切に折角御研究を進められんことを切望の至りに堪えませぬ  
一九三六(昭和11)年十月十五日  西田   滝沢君侍史 
 ●同上「西田幾多郎の滝沢克己あて全書間」(4頁)


御手紙及び『現代日本の哲学』「パリサイ人のパン種」拝受  難有御座いました  前者の方さっそく拝読簡潔によく要領が把握せられて居ると思います  私の考についてのべられて居る所も異議ありませぬ  私と田辺君との相違についても似ている様で非常に違う  御説の通りとおもいます  『草枕』の序論も面白い  私は田辺君の云う様な立場から考えていないが私から云えば同君の如き立場は私の考に一面含まれると思うのです  然るにあの人はむやみに私の立場を無媒介無媒介として敵視して居るのが解し難い  〔中略〕  『現代日本の哲学』は紙数制限のためこれだけで終わりになりたるは誠に惜しいと思います  どうももっと十分にお書き下さる様切望の至りに堪えませぬ  〔略〕
一九三九(昭和14)年二月二十二日  西田   滝沢君   
 ●同上「西田幾多郎の滝沢克己あて全書間」(11頁
                                 
       
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  (4)カール・バルトの声
  ー業績をめぐるエピソードとしてー


   ・・・当時はまだ若かった著名な哲学者がボンにいたことは、やはりもっとも記憶すべき事実です。彼は、六週間の間に、私がドイツ人の学生とドイツ語で行なう討論に、非常な理解力をもって参加できるようになり、十二週間後にはギリシャ語の新約聖書が読めるようになり、半年後には聖書講義ができるばかりか、ブルトマンについての−−そして彼に反対する注目すべき論文を書くという能力を示しました。私はまだ、、そんなに迅速かつ精力的に早業を演じた外国人を、ほかに見たことがありません。 
 ●『カール・バルト戦後神学論集 1946-1957』
  (新教出版社、1989、346〜7頁)、
 ●前田保『滝沢克己ー哲学者の生涯』
  (創言社、2003、二刷、48頁)より



 (5)テオ・ズンダーマイヤーの声
  −キリスト教神学とエキュメニカルな対話ー


   滝沢克己教授七五歳の誕生を祝って名誉神学博士号の授与をハイデルベクルク大学神学部が決定したとき、神学部はドイツの精神史および神学と日本のそれとの間の知的対話に対して、先生の神学的業績が独自の貢献をしたということを認めたのみではなく、それによってまた一つのインパルスを、すなわち、先生の業績がいっそう神学的に議論され、エキュメニカルな対話において先生の本当の声がいっそうはっきり聞かれるようになるようにというきっかけを、期待したのであります。…
   …以下に於いて、私は滝沢神学のどの点において、ヨーロッパ神学に対する挑戦を見ているか、また先生が神学的討論に対する重要な貢献をどこでされたのか、ということを、三点にわたって明かにしてみたいと思います。・・・
 ●追悼記念論文集発行委員会編『滝沢克己』より
  (新教出版社、1986、203、4頁、寺園喜基訳)



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 (6)生松敬三の声
  ー『夏目漱石』などをめぐって


   ただ、今日でこそ情況は大いに変ってきているけれども、著者が芥川の『侏儒の言葉』を読み直して講義を試みたと言う昭和十二年とか、「漱石の『こころ』と福音書」というテーマで山口のさる教会で話をし、雑誌に載せたという昭和十六年とかの戦中、さらには戦前の時代には、およそ日本の“哲学者”が日本の文学者の作品を“哲学”の問題として真正面からとり上げて論じるなどという例は、まことに稀有なことであったのだということは知っておいた方がよいであろう。
  ある意味では文学者たちの生々しい煩悶と苦闘にこそ近代日本における真の哲学的思索の営みが見られるのではないかといった見解は、今日ではもうさしたる抵抗もなく受けいれられるものとなっていようが、当時の日本の哲学界一般の“アカデミック”な空気の中では、そうした問題へのとり組みはあまりに素人くさく、非専門的との評価を免れることはできなかったはずである。にもかかわらず、あえていち早く漱石や芥川の問題をとり上げ、どこまでも自己の問題に忠実に哲学者としての視角からこれを徹底的に掘り下げて究明しようとしたこと、これはいわば先駆的な例外者である著者の名誉としてまず確認しておかなければならない。
 ●『滝沢克己著作集 4』(法蔵館、1973、491頁)、解説より


   ・・・江藤〔淳〕の「則天去私」神話の打破の作業はまことに華々しく、「崇拝もせず、軽蔑もせず、只平凡な生活人であった漱石の肖像を描く」という意図は見事に達成されているかに思われるけれども、その中ではしかし、晩年の漱石があれほどこだわりつづけて「則天去私」をそれならどう考えたらよいのかという問いはまるで無視されてしまっているのである。・・・「則天去私」神話は破壊されても、いや神話が破壊されたればこそ、いっそう真剣に漱石における「則天去私」の問題が改めて問い直されるのでなければなるまい。
  このような観点から本書   著者が「漱石研究のための一つの捨石ともなり、延いてはまた、今日流行の哲学や文学の中に彷徨する若い人々にとって少しでも実証的〔実践的)な思考と創作とへの手引きともなるならば」と提出されたこの労作〔『夏目漱石』〕   を批判的に読まれるならば、読者は決して期待を裏切られることなく、貴重な数多くの教示を得られるであろう。熟読熟考を勧めたい。
 ●『滝沢克己著作集 3』(法蔵館、1974、468頁)、解説より
                          
(2004・3・3書込)

       
  生松敬三は元中央大学教授。西洋思想史、とくに30年代のそれが専門。


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  (7)飯島宗享の声
   −哲学としての功績・哲学への挑戦
 

   滝沢克己の哲学的な営みは…シモーヌ・ヴェーユ流にいえば「根をもつこと」をめぐっての関心に、その哲学的努力の焦点があるということである。「根底」はこれまで多くは宗教的信念としてのみ語られ、哲学および諸科学が(文学や芸術その他も同様だが)教権への隷属から脱した近代以後では、その限りで哲学にはなずみがたい事柄であった。それは形而上学的独断として却けられるのが常だったからである。
  滝沢は西田哲学を土台に、カール・バルトとの触れ合いを通じて、根底に迫ることになったし、その意味では彼の根底把握には宗教的、なかんずくキリスト教的なものが避けがたく絡まりあっている。しかし、キリスト教の精神的実質をその伝承のなかで死に絶えることのありえぬものとして受けとめながら、護教論的教義学や教会的世界の占有財産としてではなく、つまりキリスト教の聖域におけるスコラ学とは違って、俗なる哲学の場であくまで哲学的思惟として問いかつ答えようとするのが滝沢の場合である。
  宗教についての或る種の忌避ないしコンプレックスをもつ日本の哲学界および思想界において、滝沢のは哲学ではない、宗教だといって彼の所論に正面から反応しようとはしない嫌いがあるにもかかわらず、彼の意図においても私の目にとっても、成功の度合いについての評価は別としても、それはやはり哲学であり、また哲学として論ぜられ遇されることが哲学自体のためにもその生命のために必要であろう。
  これは別の面からいえば、滝沢克己の大きな功績にかぞえられてよい哲学への挑戦でもある。それが哲学であるからこそ、滝沢はなんの妥協もなく、一点の譲歩すらなしに、一方では仏教に他方では唯物論に出会うことができたし、それらとの相即的理解と吟味とのなかで、彼のいわゆる根底の論を深めることが同時に全体的展望と定位に通ずることであるゆえんを実証することになった。その理解と吟味の歩みの深化過程は決して完結してはおらず、現在までの足跡のなかにも将来に課題をそなえる問題点をさまざまに蔵しているけれども、それが試みの全体として有する意義は決して過小評価を許さない。… 
 ●『滝沢克己著作集 10』(法蔵館、1974、531〜532頁)「解説」より
                             
(2004・4・1書込)



  考証と思惟をかりに分けても、思惟そのものが正しい意味の思惟と、将棋の駒を動かすように図式を単に図式として操作するようなものもありますしね・・・・。滝沢さんがいい意味での純粋な思惟で本源的なものに迫りえたということを、…わたしはむしろ滝沢さんの思惟が生きた現実に即してなされるところに、その理由を見ていいのではないかと思うんです。歴史をただ歴史としてだけ見ていたのはそうはいかないものが、一見、非歴史的に見える手法で、歴史を宿して今ここに存在している現実をそれとして根底的に見るときに、かえって見えてくるということじゃないだろうか。…生身の人間の今ここでの現実についての直接的配慮、これが動機にあって、それと直結した思惟《Denken》だから、だからこういうことになるんじゃないかと、、そういう面を感じますね。
   そしてこれが思惟についての一般化されうる一つの原則でもあるように思いますね。
 ●『畢竟』(法蔵館、1974)、257,8頁より


  飯島宗享は元東洋大学教授。わが国の実存思想をリードした哲学者。
                                 (2004・4・1書込)


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  (8)鈴木亨の声
  −西田哲学と「論理」をめぐってー


  それから、滝沢哲学にもう一つ功績があるのは、西田哲学の場合は非常に対象論理、対象論理ということを言うでしょ。あれは対象論理というものと別に「無の論理」とか、述語的論理とかいうものを対応させることからくるわけですね。確かにその対立をきわだたせる必要があったことはわかるんですけど、実際は対象論理というのは、その対象の中に主体が否定的に入っているということがあるわけですね。その点、西田先生の場合は、そこを何か切り離して対象論理の外に自分の論理がそれとはまったく別のものとしてあるような言いかたをなさっており、あれは非常に誤解されやすい。それを滝沢さんははっきりさせて、まさに対象論理というものの中に主体が否定されているということを、つまり主体と無関係な対象論理ということじゃなくて本質的な論理はそうしたものを含んでいるのだということを明らかにしたということがあると思うのです。
 ●『畢竟』〔法蔵館、1974)、48,9頁より

  鈴木亨は元大阪経済大学学長、「存在者逆接空」の響存世界をひらいた鈴木哲学で著名。

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  (9)浜田義文、飯島宗享の声
   ―人間主義、唯物論ー


  よくある最近の人間尊重、人間を物として扱ってはいかんというふうないい方が、普通されるでしょ。それを滝沢さんの場合は、まさに人間も一個の物であると言い切りますね。そして、そのことがかえって人間、真の意味での人間尊重を生み出すのだということが、僕には非常に滝沢さんの議論の爽やかな点で、これもやっぱり不可逆性ということから出てくるんだろうと思うのですよ。何か近代の立場というのは、人間尊重ということで、人間を一個の物よりもう一つ上のところへやろうとするものだから、逆にかえってだめになってしまう。そこの非常に大事なところをおさえることになっているのは、滝沢さんの思考のユニークな点じゃないかと思っているのです。…
  最近の唯物論でもマルクシズムでも人間の問題ということを言うときに、人間も物だというその基本のところを曖昧にしたままで、今までのああいうのではいかんから、、もう一つ別の何かをもって来て人間尊重を考えようとするいうふうな、だから、唯物論の原則はかえってゆるめられるような形になって、せっかくの唯物論の積極的なものがかえって落ちるようなことがあるように思うのです。
 ●『畢竟』(法蔵館、1974)50,51頁より、浜田義文の発言


  僕が非常に興味があるのは、そういうことを唯物論としての枠の中で、今までの唯物論にはこういう限界があった、しかし真のあるべき唯物論という形から考えるとそこまで降りていって客観性と触れる場所をもう一つもった場所まで考えて、しかもあくまで唯物論的に考えようとなさったこと、つまり、それが唯物論を豊かならしめる考え方だという形で滝沢さんが出してこられたことです。そしてこれがやっぱりユニークなことだと思うね。またそうなって初めて、本当の客観性に対する主体の関わりとか、そういう意味での主体の問題の生きてくる場所があるわけですね。
 ●『畢竟』98、99頁より、飯島宗享の発言

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 (10)鈴木亨の声
  ーマルクス主義と疎外の問題ー

   
  マルクス
主義だって、一九三二年の『経済学・哲学手稿』が発表されるまでは、そういうことに気づいていない。それによって初めて、労働における疎外が明らかになったわけですね。そしてキルケゴール以後の実存哲学が、精神問題における疎外ということを明らかにしている。この疎外についての二つがマルクスとキルケゴールとをつなぐところにあるわけです。この点を滝沢さんの場合、ある意味ではっきりさせたし、神学上からいって大きなことだと思いますね。
 ●『畢竟』(法蔵館、1974)、127頁より、鈴木亨の発言


  鈴木亨は元大阪経済大学学長、「存在者逆接空」の響存世界をひらいた鈴木哲学で著名。

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  (11)浜田義文の声
   −民衆の生活感情の真実ー


  日本人のナイーブな生活の仕方の中には、僕はその意味ではむしろ西洋の近代人よりは、あるまっとうな感覚が、非常にもろいからすぐそれはファッショ的なものにももってゆかれるけれとも、だからといって戦前にファッショ的なものにもってゆかれたから全部これは封建的で、いかんというふうにしてしまったのでは、いくら経ったって逆に日本において近代的なものが入ってこないと思う。これは戦術の問題じゃなくて、人間が生きているということのなかに、ナイーブな人の場合においてかえって原点の問題がそれなりにやっぱり生きており、そういうことが直観的につかまえられていると感じますね。哲学者がそれをはっきりと捉えて、問題にして出さないと、いつまで経っても僕は日本に近代は根づかないし、近代が超克(傍点)されねばならぬというふうなことが繰り返されていくように思われる。そこのところを滝沢さんが手がけ、あるいは日本民俗学とか、そういう方面の人がやっているわけですね。
  それは非常に必要なことなのに、日本の哲学者はやっぱりそういうところを落としている。その点を滝沢さんについても積極的に評価すべきで、だから天皇制についても僕はその論文を読んでいませんけど、明治以後の天皇制と区別してもう少し前の民衆の生活のなかでのそういう感情は切り捨てられるべきものばかりでもないだろうし、それを評価することが保守主義にいくというふうに考えたのでは、何も出てこないという気がするわけです。
 ●『畢竟』〔法蔵館、1974)158,9頁より、浜田義文の発言


  浜田義文は元法政大学教授、カント哲学・倫理学が専門。

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  (12)星野元豊の声
  ―仏教を問う、両教対立を超える道ー


  仏教では、何ぼはたらいても、まあ精々草を刈る程度ですね。ご指摘のように今までの仏教では「動」といっても、それが歴史を作ってゆくということになっていない。これは仏教の反省すべき点でしょう。私から言わせれば、仏教者は今までのこころの高あがりをやめて本当に謙虚になるべきだと思います。今まで歴史だ、社会だ、社会実践だといっていても、仏教者のそれはそれこそ前近代的、非科学的ですが、それをちっとも気がつかない。もっと謙虚に歴史・社会をみることから学ぶべきだと思いますが、しかし根本的に仏教のどこからどう反省すべきかということが問題ですがね。この点で、滝沢さんの第一義・第二義の接触点の問題提起は意味があると思うのです。滝沢さんの言葉で言えば「神において神でない人間存在が決定され、基礎づけられている」とか、「個は神ご自身の表現点である」とかいうこの点    こんないい方はいかにもキリスト教的、有神論的にひびきますが、そんな言葉にとらわれないで、事柄の本質をとらえて  を仏教の上で徹底的にはっきりさすことだと思います。私はそれが仏教にあると思うし、できると思う。それをはっきりさしてこないことには、歴史だ社会だといっても、歴史を創造するどころか次の時代に生きることさえおぼつかない。
 ●『畢竟』(法蔵館、1974)231,2頁より
  

  それは仏教でもそうでしょうね。久松真一先生がキリスト教を有神論といって、それと対立的に仏教を立てておられるようなものを、僕はそこで越えられるのだと思いますね。その越えられる道をこの『仏教とキリスト教』で滝沢さんが指しておられる所は、大きな問題提起として高く評価されるべきで、みんなが受けて立つべきだと思いますね。
 ●同上、247頁より


  星野元豊は元龍谷大学学長、親鸞研究者、宗教哲学

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  (13)中村悦也の声
  ―キリスト教伝道の道ー


  本来、信仰をもつということは、人間が人と人として素朴に触れ合い、お互いに活々と生きるということ、そして生きることが喜びであるという事実を作ることでしょうし、僕はイエスによって如実に出てくるはずのものはそれだと思うのですが、それが何か変な狂信におちいってしまう。そのために宗教というものが非常に陰湿なものになってしまう。素朴なキリスト論の非常に大切な問題と、学問的な問題の根源とがはっきりしていないと、キリスト教会は非常に歪んでくるし、それが教会の現状なんです。教会の中でも本当に対話といえるものが出てこない。教区総会なんかでも、そこの所がはっきりしていないがために、非常につまらない争いがいっぱい出てきている。僕はそういう気持ちがあります。結局は滝沢先生のおっしゃるようなキリスト論の立場でないと救いはない、と僕が思うようになった。滝沢先生との出会いの土台は、そういう僕の素朴な経験なんですね。滝沢先生のキリスト論に接して初めて牧師が、人間として語られるような気持になってきた。ここで初めてキリスト者は、他者を物量化し改宗させる厭味のある伝道から解放され、神の福音のこだまをお互いに確認し、喜びあう他者との関係に入ることができるのだと思います。
 ●『畢竟』(法蔵館、1974)243頁より


  中村悦也は京都洛東教会の現役牧師。ユニークな教会運動をしている。

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   (14)上野圭一の声
    −新しい医療の考え方の基礎ー



   CAM〔補完代替医療の略〕をかんがえる場合、滝沢氏のこの考察からは学ぶべきことがたくさんある。たとえば、身体性・精神性・霊性を統一的にみるホリスティックな人間観である。…滝沢氏の考察から学ぶべきもうひとつの点は、「その人の単なる恣意(私心)にはよらない自然治癒力が、いわば『逆限定的』にはたらきつつある」という指摘である。つまり、自然治癒力(自発的治癒力)は「すでにそれ自身のうちに、それとは逆の(人のではない)神のはたらきを『含んでいる』」ものだという認識である。
 ●『補完代替医療入門』(岩波アクティブ新書、2003)、100、104頁より


  CAMとはComplementary & Alternative Medicine の国際的な略称で「カム、キャム」と訓む。近代西洋医学が排除した医療で長く残ってきたものすべてを含むようだが、サプリメントなども含まれる。上の引用は誤解をふせぐため最小に止めてある。   この分野独得の用語は文脈抜きに引用しずらい。肝心な点は、アメリカでは広く流布しているこの医療が近代医療の限界を超える未来の医療として登場していること、そこで滝沢の身体論が基礎理論として注目されているという点である。
  なお、上野圭一は翻訳家・鍼灸師。日本ホリスティック医学協会副会長などで活躍。A.ワイルの著書の翻訳などで著名。

       

他者の言葉 Part 2

 

 

(1)折原浩氏の声

   ―ヴェーバーと滝沢ー

 

  滝沢の普遍神学とヴェーバーの巨視的比較社会学、このふたつこそ、今後、西洋近代文明/文化の外縁「マージナル・エリア」にして東西文化の狭間という「位置価」に恵まれた日本の国民文化を、独善に陥らずに健やかに形成していく学問的媒体となるであろうし、ぜひともそうしていきたいと思う。

 

  (『ヴェーバー学の未来』未来社、2005年9月、217ページより)

 

   折原浩氏(1935〜)は社会学者。東大、名大、椙山女学園大教授、各定年





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滝沢克己の世界
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